壁にぶち当たり、壁を超える。思いを込めたモノに魂が宿る。
かつてガチャマン時代と呼ばれる、「織機をガチャンと織れば万の金が儲かる」時代があり、当時、和歌山市は莫大小(メリヤス)の産地として発展したそうです。
そこから70年近くの月日が経ち、世界は大きく変化しました。
和歌山市相坂に工場を構える風神莫大小株式会社の風神 昌哉さんから、 変わりゆく時代の中で、こだわりを持って生地作りに向き合うことで得た、貴重な知見を前編、後編の2回に分けてご紹介します。
今回は後編。前編はこちらから
モノの価値の低下が生み出す産業の空洞化
Mako : 仕事をしていて辛いと思う瞬間はどんなことでしょうか?
風神さん : まず最初に挙げるならば、年々求められているクオリティに対してのこちら側のレベルアップが追いつかない”もどかしさ”があります。
若手が圧倒的に少なく、また入ってきたとしてもドロップアウトする確率も高いので人材が足りおらず、技術の継承がなかなか上手くいっていません。
私たちの仕事には国が定めるような特殊な資格が必要なわけではなく、次の世代に技術や知識を分け与えるには、それぞれのいち産地、いち工場が自分たちの自社努力で長い期間をかけて直接継承させるしか方法がありません。
個人的には、それは世の中でいう伝統工芸の人間国宝の方が次の跡取りに技術の継承をするくらい、難しいことだと感じています。
実は現状、技術の高い優秀な職人さんは、とても高い給料で中国の企業に引き抜かれるケースも増えています。
例えば、期限付きで年収1,500万円といった金額で、こちらに3年間技術を教えてくれというようなことです。これは50,60代のメリヤスの工場長からすると破格の金額ですので、依頼があれば皆が喜び勇んで引き抜かれます。
こうした結果、人員と技術の流失が行われているというのが、今のリアルな現実です。
日本や和歌山産地が長年培ってきたものが失われ、メリヤス産業全体の空洞化に繋がっている現状を感じることは、産業全体を見る視点からすると悲しく辛いものがあります。
そして個人的に辛いのは何より日本の商品が安すぎることです。消費者としての視点からすると、それはすごく良いことだと思います。
私の妻やスタッフもそうですし、ファストファッションのアイテムをその日に着る服のどこかに織り交ぜることは現状一般的になっていると思います。
ただ、その流れに押されすぎることで、価格のバランスが崩れ、人々が物の価値を見出せなくなってきているのを感じます。 それは価値ある物作りを目指して続ける人間としてはとても悲しいことですね。
失われつつあるファッションの「所有」と「選ぶ」喜び
Mako : 分かる気がします。前に僕のお世話になっている方が、昔は洋服は「所有」物だったのに、今では「消費」物になってしまっている、と現状を嘆いていたことがありました。
風神さん : おっしゃる通りだと思います。実際のところ自分は、人としてそれは不幸せなことではないか、と思っています。
ひと昔前のファッションで言うと、コレクションブランドなど色んな洋服の選択肢があって、そのブランド、洋服に対しての憧れがありました。
頑張って仕事をして、お金を貯めて、あのブランドのあのジャケットを買おう、というような気持ちです。
ただ現状、安くて良いものを作ろう、売ろうとするあまり、モノの価値のバランスは崩れ、魅力のあるブランドや作り手が減り、人々のファッションに対する憧れは段々と薄れてきています。
安くて良いものもあれば、その逆に高くて良いものもあって、色んな選択肢がある中で、その中から自分の好きなものを選べることが、ファッションの楽しさだったりすると自分は思いますが、安くて良いものを追い求めるあまり、選んだモノが使い捨てになっている状態もあるかと思います。
ひと昔前に比べて、人々は自分の選んだモノを所有し、大切にする喜びを忘れてしまったように感じています。
モノと生きることで重ねる「思い出」
Mako : 選び、所有する喜びが薄れてきていることは僕も感じています。最近では若い人たちの間で、洋服をレンタルし合うような流れがあるようですが、僕個人は時代に追いついていないからか、あまり利用したいと思わないんですよね。(笑)
風神さん : 消費する時代からリサイクルして回していく時代である今のカルチャーには合っているのかもしれません。それこそサスティナブルなのかもしれませんが、私自身は自分の選び買ったものに対して愛着を持っている方が好きですね。
私はモノには魂が宿ると思っているんです。
その魂と、そのモノと一緒に、共有している時間があって、それが積み重なって、愛着が湧いて捨てたくなくなる。それが”生きている”ということだと思いますし、それを感じることが大切だと思っています。
私は自分の娘にも、どんなに高いものでも、安いものでも、関係なく大切にして、そのモノと沢山の思い出を作りなさい、と教えています。「この靴と~に行ったな」とか、「この服を着て~したな」とか、そんな思い出を持てれば、モノを大切にできると思うんですよね。
Mako : 素晴らしい教えですね…。めちゃくちゃカッコいいです。
風神さん : そんなにモノは買い与えてないので、そういう風に言っておかないと、どんどん新しいモノを欲しがられると困りますからね。(笑)
世の中にないものを作ることで生まれる壁、それを飛び超える喜び
風神さん : つい最近実際にあったことなのですが、大阪に食事をしに行った時に、隣に見知らぬ女性が座っていたんです。
彼女はおそらくメンズのダボダボで大きめの、カレッジロゴがプリントされたチャンピオンのスウェットを着ていたんですよ。よく見ると首元もヨレヨレで、ボロボロで。
でも、彼女を見て、僕は『この人、カッコええなぁ…』と思ったんですよ。それくらいそのスウェットを物凄くカッコよく着こなしていたんです。
そしてその時、彼女が着ているこのスウェットのような生地を作りたいと思いました。
Mako : よほど似合っていて、カッコいい方だったんですね。
風神さん : 彼女が着て、様になるような生地を最初から作れたら面白いんじゃないかなと思いましたし、逆に某ファストファッションの店に行ったときに、そのお店にはないような、オリジナル性のある商品を作っていかなければ私たちに未来はないんです。
同じようなものを作っていても、価格の点で負けてしまいます。
ですから大切なのは、目の付け所とモノの見方の角度を変えて、値段の高い安いに関わらず、世の中になくて新しいものを作る、ということだと思っています。
Mako : なるほど…。とても考えさせられます。
風神さん : ただ、このないモノを作るということが、先ほど伝えた仕事の辛さ、苦しみの部分に繋がります。ないモノを作ろうとすると、新しいモノですからデータがないのでそれを取っていかなければなりません。
例えば、シワになるとか、伸びたら戻らないとか、縮率が悪いなど、それを測る中でどうしてもモノとしてのクオリティの壁にぶち当たります。
最終的に商品にするためには最低限度の品質はクリアしなければいけないので、何度も改善を加え、ブラッシュアップを繰り返し、そのクオリティの壁を超えていかなければなりません。
そしてその壁を超え、ようやくその商品が完成して納品できたときに、今度は先ほど話した仕事をしている時の喜びを感じることが出来るのです。
苦しみと喜びは表裏一体で、この苦しみを超えなければ喜びは決して感じることは出来ない。
私はそう思っています。
楽して稼げることはありませんし、祖父たちが経験したガチャマン時代のような景気の良い時代を生きている訳ではありません。お金だけではなくて、仕事から感じることの出来る価値を見出し、仕事と向き合うことが大切だと思っています。
服の重みは価値の重み
Mako : 今のお話はとても共感します。僕らもそういったことを大事にしていきたいと思っています。最後になるのですが、服に関する豆知識を何か教えていただけないでしょうか?
風神さん : そうですね…。では損をしない選び方ということで言いますと、生地の重さでコストがかかっているかが見分けれるということです。
重い生地は着づらくて良くないと昔から言われてきていますよね?
しかし実際のところ、単純に重いということは原料が多く使われているわけです。軽くて薄いものが良いですよ、というような風潮がありますが、それはそうした方が作る側が儲かるので、そのように消費をコントロールしている側面もあるんです。
薄いから、目が細かいから良い服というわけではないんですよ。ぶ厚くて着にくいかもしれませんが、昔のチャンピオンの生地のように、すごくこだわりを持って作られ、日本の職人さんがこぞって真似しても未だ再現できないような生地が良い生地だと思います。
私たちもそんな生地を超えるために追求してやってきていますが、未だ納得したモノ作りは出来ていないですね。
Mako : ありがとうございます。僕の今回作っていただいたTシャツはめちゃくちゃ重いので自信が持てました。(笑)
人の思いが宿るテキスタイル
風神さん : そうですね、今回の生地には沢山のコストがかかっていますから。(笑)
また本来でしたら斜行する(ねじれる)糸の編成なのですが、私たちの技術で、テクノロジーの限界まで追い詰めることで斜行しない状態まで再現しています。
モノづくりには、そこに関わる工場さんや原料に相性がありまして、原料、機械、糸、縫製、染色の全てが噛み合わなければ良いものは出来ません。
例えばデザイナーさんがいくらその生地を使いたいと言ってくれても、日本はそれぞれの工程で別会社として分かれていますので、その生地が分厚すぎてそのデザイナーさんが依頼している縫製工場さんとは相性がよくないということがあったり、その逆もあったりします。
中国やトルコではそれぞれの工程が一貫して同じ工場内で流れているので、一つの会社の中で完成品まで仕上がりますので、それは取引先からすると分かりやすいですよね。
ただ問題点としては、どうしても同じ会社の身内同士なので、それぞれの工程でごまかして製品のブラッシュアップが行われない傾向があります。
対して日本のモノづくりは分業制な分、中途半端な製品を納品すればその評判は広まりますのでごまかしは通用しません。
それが、それぞれの会社が自分たちのモノづくりに誇りを持ってブラッシュアップをし、お互いに切磋琢磨することに繋がっていると思います。
Mako : とても面白いお話でした。全てのことが良い面と悪い面が隣り合わせであるということを再認識できました。
風神さん : 生地作りは芸術品ではなく工業製品なので、クオリティが高いか低いかだけではなく、クオリティが安定しているか、そこが工場として付き合ってもらえるかには大事になってきます。
もちろん会社を続けるためにも量は作らなければなりません。
ですが量をつくると言えども、私たちが作った生地でできた服を着た人がその服に愛着が湧き、捨てられなくなり、その服に想いが宿る、そんなテキスタイル作りを目指しています。
今回のTシャツで納めさせてもらった生地のように、それなりの思いを持ってこだわって作ったテキスタイルにこそ、想いは宿りやすいと思います。
工場の外から見ますと、機械で生地を作り続けるという70年同じことをやっているように見えるかもしれませんが、やっていることの内容は常に変わっています。
思いが宿るという意味では芸術品にも近い部分があると言いますか、工業製品、大量製品の中にもそういうモノづくりの側面があるということですね。
Mako : 僕のTシャツも風神さんを始めとする、関わっていただいたすべての人の思いが紡がれていることに自信を持ち、より多くの人に愛着を持って着てもらえるように頑張ります!
今回は貴重なお時間、貴重なお話をありがとうございました!
インタビューを終えて
私は服に限らず、アートや音楽、食べ物など、何でもカルチャーのあるモノに惹かれるのですが、カルチャーとは、人の想いから始まるように思います。
今回の取材した風神莫大小さんには、確実にカルチャーがあり、こういった工場と一緒にモノづくりをしていくことで、着る人のカルチャー(想い)を纏う服になっていくんだろうなと感じました。